【思い出1】初めての豪旅行→2回目の豪旅行→初めての救急(blog_003)

ブログ
初めてのオーストラリア旅行

まだ子供たちが小さかったとき。

長女、小2。次女、小2。三女、年長。蛙の母はそのころ32歳。いまよりも10Kg痩せてたとき(余談)。蛙の父も痩せていた、いまよりも10Kg痩せていたんだ(余談)。

身内の結婚式のため、オーストラリアに。しかもSA(南オーストラリア州)。遠い!!遠すぎる!!しかも物価がめちゃくちゃ高い!!当時、シドニー空港でサンドイッチを買おうとして、値段を見て断念した記憶が。

たしか12ドルだったかなぁ、日本のコンビニのサンドイッチのほうが具だくさんでおいしそうだった。

しかたなし、乗り継ぎの合間はコーヒーを飲んで過ごしました。

だってね、飲み物とサンドイッチを5人分注文するだけで、10,000円ですよ?!

 

乗り継ぎの悪い便だったので、非常に疲れました。5人の席が隣り合わせじゃないと子供の世話ができないですからね、、、簡単にイイ具合のチケットが取れるわけない。家族が多いと、旅行の苦労も多いですね。

さて、その後無事にSAに着きましたが、到着した日が結婚式の前日。一旦ホテルに入って身支度をし、すぐさまドレスを開封し明日に備えました。

わたし、花嫁の介添え人をしたんですよ。その式の介添え人は、花婿側2名と花嫁側2名。私以外はオージー。あちらの介添え人のシステムがわからなかったんだけど、式の間はずーーーーーっと、介添え人同士(もちろん男女のペアで)腕を組み、あっちへ行きこっちへ行き。

最後はそのままパーティ会場へ。

 

パーティ会場でも、そのペアでダンスwww

腰に腕をまわしダンスwww

自分のファミリーをほったらかしにして~ダンスあんどキッス(ほっぺたに)www

 

なんともロマンティックな結婚式でした♡

このあと数日SAで過ごし、シドニーへ。シドニーで観光してから無事日本へ帰国しましたとさ。

もちろん、これがきっかけで『留学』を考え始めたのはいうまでもありません。

 

2回目のオーストラリア旅行

2回目のオーストラリア旅行は、2017年8月。

このときは約1か月の滞在でした。あっという間の1か月だったなぁ。

 

まずは親族の家にお邪魔しまして・・・(空港までのお迎えありがとうございました!)荷解きをし・・・あちこち歩いてゆったりと過ごしました。

次の日は、現地にいる親族たちと一緒におやつを食べ、その後はショッピングへ。

↑かわいいお菓子♡買わないけど(笑)

↑オシャンティーなモール内♡

↑似たようなショッピングカートw

小さなお子さんがいる方の強い味方でもあり、ときに邪魔な奴ですね!

 

数日はこんな風に、その辺をぶーらぶらして楽しみました。いつもと違う景色、いつもと違う食品、いつもと違う自分たちに少し戸惑いながら♪

 

オーストラリア滞在5日目・・・それは起こった!!事件です!!

大事件です!!

もうほんと死ぬかと思いました。いや、死んだかと思いました。ほんとに死んだと思いました。生きていてよかった・・・。

この事件のとき、自分の身に起こったことが理解できていなかったんですね、卒倒っていうのでしょうか?気絶はしていなかったんですが、私が気絶している場合でもなかったので。

 

そしてこの日、初めて海外の救急にかかりました。

ぜんぶ英語、会話も字も英語(当たり前か)。。。

今だから言える話。今まで人に言えなかった話。思い出したくなかったから封印していたんです。まだ笑い話にはできません。でも、海外に行く皆さんの参考になればと思い、私の記録として残しますね。

引き続き『おらマナカ!初めて外国の病院で治療わくわくすっぞ!』をお送りします。

※脳内再生はモノマネ芸人・アイデンティティの野沢雅子さん真似の声でお願いします。

蛙の母、まったくワクワクしませんが、、、

『おめぇ、でぇじょうぶかぁ!!!!』を連発します。お楽しみに!!

 

初めての救急@オーストラリア

『おらマナカ!初めて外国の病院で治療わくわくすっぞ!』のお話ですね。まったくワクワクしないであろうことは、お察しのとおりです。

当たり前ですが・・・『おめぇ、でぇじょうぶかぁ!!!!』なんて言ってません。言葉が出ない状態でした。

海外には日本人が思いつかないような遊具があって、それはそれは本当にダイナミックで魅力的ですよね。

なんてゆうのでしょうか?アイアン空中ブランコ?

地面はウッドチップで柔らかく安全設計ですが、この回転遊具、遊具から落下すると回転して戻ってきた乗車部分がヒットするんです、落下者に。

日本語が下手で申し訳ないです(汗)

そして本当に頭部へヒット。。。

救急車を呼ぶか、どうやって呼ぶか、車があるから自分で搬送したほうが早いか。

彼女の頭からは大量の血。目がつぶれたのか、頭が陥没しているのかよくわからなかったのですが、とにかくケガ人には『大丈夫だよ、ちょっと切れたね』と安心させることに。ケガした本人は意識朦朧としていました。

結局、救急車を待つよりも自走で救急へ行くことに。家から一番近い、クレジット会社の指定する病院へ。これについては後述します。

搬送途中、眠ったり吐いたり・・・母は抱きしめることしかできませんでした。ごめんね。。。

救急へ到着後、救急隊員に事情を説明して小児科の待合へ。何十分待ったかな、覚えていませんが結構待ちました。たくさんの子供の急患が並んでいたからね。焦っていたので余計に長く感じたのかも。

しばらくして意識がはっきりしてきたところで、さまざまなドクター計4名に検査をしてもらい、『今日は切れている部位の処置のみ、異変があれば受診』ということで深夜に帰宅しました。

マナカは小柄な子だもんで、あちらのドクターたち、泣きじゃくるマナカにキャンディーをくれました(笑)

キャンディーをもらっていたのは、だいたい5~6歳の子たち。

あのーうちの子13才なんだな。でも、たしかに小さかった30キロくらいしかなかったもんね。

そして手に持っているのは、別のドクターがくれたゾウさん。ドクターたちの手袋をプーっとやって『ほら、ぼくゾウさんだよ』って(笑)

『はい、うちの子13才だよ』って心の中で爆笑していました。

ゾウさんも泣いてるよ、って涙描いてくれたけど、マジで全然ゾウさんじゃない。涙のタトゥーをいれたギャングかと思ったわ。

でも本当にやさしかったなぁ。どのドクターも。二度とお世話になりたくないけど。

そんなこんなで、なんとか無事に治療も終わり帰宅しましたが、母は緊張したまま。マナカの容態が明日以降回復していくか、日本にいる家族への報告、治療費のこと、女の子の顔にケガをさせたこと、いろいろな気持ちでした。

まだオーストラリアに来て5日なのに、まだ20日以上も残ってるよ!無事に帰れますように!

 

事故後の経過観察と観光

マナカの事故から数日、自宅療養して経過良好だったので、少しずつ外出を増やしました。

 

事故後最初のお出かけは、近くのモールへ。今回はバスを使って。

みんなちょっと暗いです。会話も少なめだったかなぁ。

なんとなく買い物を終わらせて、帰路につき、夕食の準備をしました。

何を作っていたのか忘れたけど、毎晩オーブン料理をしていました。

楽しい夕食はあっという間に終わって、オーストラリアの寒い冬は、家族4人くっついて寝ました。

(このころ、日本に置いてきた父は久々に羽を伸ばしていたようで、翌月のクレジットカードの請求書を見てわたしはひっくり返りました)

 

この翌日は、ドイツ人の街に足を運びました。来てみたいなぁと思っていたところ。実際に街を歩いてみると、本当にきれいで、美しいものばかりでした。

観光客や町の人もそんなにいないけど、街中がカラフルに装飾されています。

色の使い方がオシャレです♡

 

お菓子屋さんや、ケーキ屋さん、雑貨屋さんをまわって、最後は駄菓子屋さんのようなとこへ。お菓子やちょっとした食材を買った記憶があります。

こちらは自然派のお店。レタリングがオシャレ♡

商品はというと、とても高額で買えません(笑)見てるだけ~

そして次に立ち寄ったのは、時計屋さん?時計屋さんではなく、カフェ?

許可を得て、写真を撮らせてもらいました。

無秩序であって、整頓された感じが好きです。

もし私がコレクターだったら・・・オシャレにデコレーションできる自信がないですね!!www

 

そして最後、久々の日本語に出会いました(笑)

伝統的ドイツホットドッグ

注釈がありますねw

伝統的ドイツホットドッグ

誰が書いたんだろう~通りすがりの日本語書ける誰かが書いていったに違いない!!細か!間違った日本語ではなかったのですが。

(一固有名詞だったのだとすれば、副詞は不要だったのかも?)

横に書かれている中国語はわかりません。

 

本当に素敵なところでした。次にオーストラリアに行く際も、絶対に行こうと思っています。

 

・・・

 

帰り道、近所のビーチに寄り道。お散歩。

家から一番近いビーチ。

滞在中は何度も通いました。この海の向こう側、見えないけれど見えるとしたら南極だけ。

私たちがいたのは、SA(南オーストラリア州)です。この海の向こうには大陸はないんです。

なんだかロマンティックです!!!

 

スポンサーリンク


コメント